
なぜ西欧で資本主義が発達したのか。
こんな疑問をうっすらと思っていました。
まさかこの書籍でその理由の大枠が理解できるとは。
小室直樹先生の「日本人のためのイスラム原論」
書籍名だけみると名前は仰々しくて、教科書っぽくてつまらなそうって感じてしまいますが、気軽に手に取ってみることをお勧めします。
初心者で頭の回転が速くない私でさえも読み進めやすく、とてもわかりやすい内容でした。
本書を読み進めていく中で「勉強になったわ〜っ」て感じたことが3点ありました。
・資本主義がイスラム教圏で欧米に比べて発達しない理由
・十字軍コンプレックス
2記事に分けて勉強したことを発信していこうと思います。
素人であり、難しい内容ですが、本書で理解したなりに西欧で資本主義が発展した理由記述していこうと思います。
キーワードは「エトス(行動様式)の変換」でした。
西欧で資本主義が発達した理由
まず、資本主義の発展について小室直樹先生は、以下のように記述しています。
資本主義が発展するには、資本主義に「徹底的に反対する」経済思想がなければならない。
本書引用
この「徹底的に反対する経済思想」というのがキリスト教です。
そしてなんと、このキリスト教が資本主義発展の「触媒」として機能したとのことです。
「富を蓄えるのは罪」だったキリスト教社会
もともとキリスト教において、富を蓄積すること、金儲けに走ることは「貪欲」とみなされ、道徳的に忌避されていました。
とくに中世カトリックにおいては、「金利を取る」こと自体が罪とされるなど、商売そのものが軽蔑の対象になることすらあったのです。
金を稼ぐ行為は、魂の救いから遠ざかるものとされていたのです。
こうした伝統的な価値観の中で、「お金を稼ぐ」ことに対しては、長らく厳しい宗教的制約がかけられていました。
このように利益を得るということに徹底的に反対する思想であったのですが、この厳しい制約が後の大きなエトスの変換に関係するのです。
カルヴァンと「予定説」の登場
では、この一見すると資本主義に反対するキリスト教が、逆になぜ触媒となったのか順を追って整理していきます。
16世紀、スイスの宗教改革者ジャン・カルヴァンが現れ、既存のキリスト教倫理を根底から揺さぶります。
彼が打ち出したのが「予定説」――つまり、人は救われるか否かをあらかじめ神によって定められているという思想です。
この教義はキリスト教信者にある種の「不安」と「衝動」をもたらします。
「自分は本当に救われているのだろうか?」
「神に選ばれた者なのか、否か?」
その確信は誰にもわかりません。
だからこそ、人々は現世の営みに「選ばれし者」の兆候を見出そうとするようになります。
この考え方のキリスト教をカルヴァン派と表現します。
自分の仕事こそ「天職」。だから祈り、そして働け
カルヴァン派の倫理においては、自分の職業(vocation)は神から与えられたものであり、天職(calling)とされます。
したがって、「働くこと」は単なる生計手段ではなく、神への奉仕であり、信仰の証となるのです。
小室氏も本書で、「祈り、そして働け」というプロテスタントのスローガンを引きつつ、この思想が信者の生き方を根本から変えたと述べています。
働いて稼ぐことは、隣人愛の実践である
さらに面白いのは、お金を稼ぐという行為そのものに倫理的意義が見出されるようになったという点です。
商売とは、誰かの困りごとを解決すること。
価値を提供し、対価を得ること。
すなわちそれは、「隣人愛」の実践であり、社会における自らの役割を果たすことなのです。
救済されるために、狂ったように働く
こうしてプロテスタントの信者たちは、自らの救済を確信するために、狂ったように働き、貯蓄し、再投資するという姿勢をとるようになります。
「選ばれし者」になりたい。
だから稼ぐ。
だから働く。
だから蓄える。
このようにして、資本の蓄積と自己修練を倫理として内面化した「プロテスタント的エトス」が生まれたということです。
そう「エトスの変換」が発生するのです。
そして、資本主義が爆発的に発展する
この精神変革こそが、資本主義の原動力であり、まさに触媒です。
かつてイスラム世界がリードしていた学問・文明・経済のあらゆる領域において、キリスト教圏――特にプロテスタント社会が猛烈な勢いで追い抜いていきます。
小室氏はこう書いています:
「こうして、キリスト教世界はイスラム世界を一気に追い抜いた。なぜなら、狂ったように働き始めたからである。」
みんなが狂ったように働くんであればそりゃ発展しますわ。
では中東ではなぜ資本主義が発達しないのか
イスラム教の教えの中では、エトスの変換が発生しないことが理由とのこと。
スラム教は商売を肯定する宗教だった
イスラム教は、商売を奨励しています。
預言者ムハンマド自身が商人であったし、クルアーン(コーラン)の中にも売買や契約に関する詳細な記述があります。
つまり、「富を得ること」「働くこと」は宗教的にも否定されない。
だから、イスラム社会は一見すると、資本主義的価値観を内包しているように見えています。
しかし、そこには「変わらなかった」という決定的な違いがある
一方で話は戻りますが、キリスト教社会では、かつて「金儲け=罪」だった。
利子を取ることも禁止、商人も軽蔑されていた。
ところが16世紀、カルヴァン派による宗教改革がこの価値観をひっくり返す。
「天職に励んで富を得るのは、神の意志に従っていることだ」とされ、かつて罪だったことが善に変わった。
この「180度の価値観転換」、つまりエトスの変換が、近代資本主義を爆発的に加速させた。
イスラムでは「変わる」ことが宗教的に禁止されている
一方、イスラム教ではそもそも「完成された教え」だと信じられている。
イスラム教ではコーランこそが最終啓示とされ、ムスリムの行動規範は確定しています。
だから、たとえ社会や経済が変わっても、ムスリムの「価値観そのもの(=エトス)」を変えることが極めて難しいのです。
ということはこのままの可能性が高いということになります。
では今後、イスラム教圏に変化はあるのか?
小室先生曰く、
この先、何百年、何千年経とうと、ムスリムのエトスは変わりようがないのだから、そこから「資本主義の精神」の精神が現れるなど、金輪際ありえないのである。
本書引用
まじですか。。
としか言いようがない。
まとめ
私の理解も浅いため表面的な整理記事になり恐縮です。
この記事を書いているのは2025年6月21日。
まさに米国やイスラエルがイランを空爆やミサイルでボコボコにしている最中です。
国としてはイスラエルよりイランの方が大きいのに、軍事力では圧倒的にイスラエルの方が強い(もちろんアメリカの支援もありますが)。
特にイスラム政権であるイランは経済も発展しないでしょうから、今後も厳しくなるでしょう。
この本を手に取ってみるだけでも見方が少し変わり、新たな気づきを得ることができました。
みなさんはイランの問題にも絡めてどう思いますか?
引き続きコツコツ勉強していこうと思います。