本屋をぶらぶら散歩し、目についた本。
今回は、「小さき王たち」という小説。
政治とメディアというキーワードが目に止まり、購入。
作者は堂場舜一先生です。
もともとは、読売新聞の記者をされていたそうです。
ちなみに三部作。
小さき王たち:濁流→泥流→激流の三部作です。
このタイトルにある流れについては、読んでいく中でいろいろ考えさせられます。
最近は小説を連続して読んでいますが、いいですね。
別世界に繋がって読んだ後は脳がスッキリしています。
脳疲労が取り除かれる感覚です。
さて、今回印象に残ったのは2点です。
政治記者と政治家の関係
小説の中で描かれている「政治記者」と「政治家」の関係性
本書では、政治記者は政治家の言いなりになっているという表現が多く出てきます。
最初どういうことやねんと思いました。
私は政治記者というのは、政治を専門分野として、各種政策や言動について厳しい記者なんだろうなと思っていました。
しかしながら、小説で描かれている政治記者は、単なる政治家の言いなり記者。
政治家からの裏指示を反映して報道したり、新聞社の人事に介入させたりと、まぁ酷いですわ。
特に政治部出身の記者が経営陣のトップになろうものなら、もう目も当てられないです。
政治記者ってなんて外道やん。
でもここで、感じました。
確かに、政治記者は主として政治家を取材して情報を獲得し、報道するのが仕事。
つまり、ネタとなる情報源のアクセスは政治家となる。
そのため、忖度は発生しやすいですよね。
なので、政治記者そのものが一方的に悪いとは言い切れないかも。
これは構造的な問題かもしれない。
しかし、一方で政治家と政治記者が完全に距離を置いて報道することなんていうのも非現実的。
だけど、ここで思ったのは、メディア消費者である我々はこの構造で報道が行われているということを理解すること。
その前提で発信されている情報に接して自分なりの考えを持つことが大事だと思いました。
投票者のリテラシーを高めよう
小説では、民自党というワードが出てきます。
勝手に解釈すると現在の自民党のことを指していると解釈しています。
民自党が好き勝手やっていることに対して、政治家だけが悪いのではなく、有権者のリテラシーの低さも原因だと表現していると理解しました。
愚民が政治家を選べば当然、愚かな政治家が当選する。
政治家、メディアが悪いと表現しがちですが、メディアの情報を消費し、投票で政治家を選ぶ有権者自身のリテラシーが低いのも根本的な原因かと。
自分もリテラシー高めるために、政策についてもう少し腰を据えて勉強しようと思いました。
本書は小説ですが、有権者の一員として政策を自分の考えでチェックし、意志を持った一票を重ねていこうと思わせる内容でした。
おしまい。