今回はこの本を手に取りました。
東洋哲学の話。
後ほど詳細を述べますが、まさに私は人生に悩んでいる最中。
思い描いている自分とかけ離れている自分に、
・不安
・絶望
・虚無感
・・・・負の言葉が頭の中でたくさん出てくる。
突破口のきっかけが欲しいという思いがこの本を呼び寄せたのか。
とあるブックデザイナーがたまたまXで紹介していた本書が気になり、桜木町駅南改札前にある本屋で探しました。
そしたら、ありました。しかも残り一冊で運命を感じ速攻で買いました。
東洋哲学とか難しそうなイメージしかないけど読み終われるだろうか。。。
震えながら1ページ目を開いた。
面白くてわかりやすくて一瞬で読み終わった。
結論:爆笑と共にブッ刺さる。そして何かわからぬ安心感を得る。
と同時にしんめいP先生は相当勉強されたんだろうなと感じる。
社内説明会とか研修をする際には人の3倍は勉強してからという意識でいますが、しんめいP先生は30倍くらい勉強されていたんじゃないかな。
そのわかりやすく面白い説明のおかげで笑い泣き、涙が出てました。
スタバの店員さん東洋哲学とか書いてある黄色い本を持ったおじさんが笑いながら読んでいるのを心配したでしょう。
今回は、巻末にしんめいP先生の「本の感想」を楽しみにしているとのコメントあり。
せっかくなので書かせていただこうと思います。
ブッ刺さった内容/言葉
ガツンときた内容は第2章の「空」。
ざっくりスキームは以下で理解しています。
・人は言葉の魔法(恋人/家族/会社/国等)にかかっている。
↓
・恋人/家族/会社/国などはそもそも言葉の魔法によって作られたフィクション
↓
・言葉の魔法が解けるとそこには何もない「空」
↓
・「空」ていうのは全て繋がっていること(植物も動物も人間も元は同じものからできている)
↓
・究極要約すると地球上にあるものは太陽や宇宙と繋がっていて同じものからできている
↓
・つまり全ては繋がっている(縁起)
へ〜、この時点で私はなんか安心した。
だって、もともと自分は「空」なんだもん。
そう、キラキラしている自分にならなければと思っていた自分も前提として「空」なんだと。
ここで少しわかりにくいので私自身について整理してみる。
自分の考え方として、同年代よりもキラキラしていないといけない、やりがいのある仕事に就き、みんなに「おーーーっ、それすごい仕事!」と言われたい!チヤホヤされたい!
などとクソどうでもいい見栄と周囲の目を気にして、どこに向かっているのかわからない頑張りで生きていました。
(いや、過去形になっていますが、私レベルでは到底悟りに至っていないのでどこかでまだ気にしていると思う)
でも、本書を読んで、とりあえず安心しました。なんか静まった。
地に足ついた感じです。35歳にもなってますが。
私の経歴を簡単に記載↓
・理系大学院卒。
・元海上自衛官(技術士官)。
・意識高い系の知名度高めキラキラベンチャー企業に勤務。
・新エネルギーを日本で製造/普及させるという崇高な目標。
・メディア露出も多く、自分も事業について熱く勝っているインタビュー記事あり。
まさに絵に描いたような意識高い系サラリーマン。
当然、同じ会社にも意識高い系のキラキラ同僚ばかり。
グローバルで社会を変えてやるとかとか大きなことを言っていた。
体を壊しすほどにむしゃらに仕事をした。気づけば入社4年6ヶ月。
結果、事業は思うように進まず、会社全体の業績も悪くなり給料も下がる。
同じ部署のメンバーがどんどん辞めていく。
つい最近は、面接からお世話になった部長と執行役員まで退職してしまった。
見渡すと髪を振り乱しながら一緒に戦ってきた入社時の同僚は誰もいない。
中途入社1年ほどのメンバーのみ。もはや誰やねん。
最近ではインフルエンサーに会社自体をボコボコに叩かれてもいる。
自分を客観視してみると、
「キラキラしている自分なんてもうない。ただ疲弊したおじさん。そして最近なんか無気力。」
年齢のせいにもしたりして。
だけど本書の「空」の概念に触れて勝手に解釈した。
この悩みは「キラキラしている自分でいなきゃいけない」という勝手に決めた「前提」があるから発生してるんだ。
会社でキラキラしているなんてそもそもフィクション。
自分の前提も何もない「空」なのに!
だから本書に書いてあるように悩みなんて本当は存在しないんだ。
だってもともとが空なんだもん。
って思ったらなんか腹落ちした。
空っぽな自分であることに気づき無気力になっていたが、そもそも空っぽであることが前提なんだとわかったらなんか気力が湧いてきた。
そもそも世の中がフィクションで空っぽなんだから、自然に湧いてくるやりたいと思ったことをまたやっていこうと気力が湧いてきた。
そんな感想です。
私の「空」を感じる瞬間
ちなみに本書での「空を」感じる瞬間に共感しました。
特にこの会社のビルを見た時っていう部分はわかる〜って本気で思いました。
せっかくなので私も「空」を感じる瞬間を書いてみました。
護衛艦を見た時
横須賀へ行くたびに感じる。
こういうのをみるとね(ちなみに私は昔「しまかぜ」に乗っていました)↓
海上自衛官の制服を着て護衛艦で船乗りやっていたのかと。
特に汽笛の音を聞くと思い出す。
あの船内での濃密な人間関係も全部フィクションだったのかと。
これを空と言っていいのか、ただの哀愁七なのか。
会社の閉鎖プラントの近くを通った時
つい最近まで新燃料作るプラントで集中して楽しくやっていたメンバーが全員退職。
工場も閉鎖され、撤去工事予定ということもあり消防の突入訓練に差し出している。
隊員が電動ノコギリで突入する訓練しているため、そこらじゅうに傷だらけ。
ライオンに引っかかれたような感じになっている。
東アジアで唯一稼働成功したプラントだたというのが嘘みたいだ。
だけど周囲の工場は何事もなく稼働しているし、近くの木々からは変わらぬ木漏れ日がある。
鳥の巣も変わらずある。
全部フィクションだった。
だけど楽しいフィクションだった。
入社時の同僚 /上司が全員いなくなったデスクを見た時
デスクを見るたびに思う。
このデスクで意見言い合ったり、雑談したり、お菓子を分けあったり、集中して仕事したり。。。
幻だったのか。今となっては外でみんな元気に生活している。
あの頃は永遠に続くような同志のような感覚だったのに。ブーハーツの「情熱の薔薇」を思い出す。
何ごともなかったような感じだ。
このみんないなくなり、知らない人たちがこのデスクで仕事しているの見る度に国語の授業で習ったあの俳句を思い出す。
・夏草や 兵どもが 夢の跡
・国破れて山河あり、城春にして草木深し
誰の俳句だか忘れてしまったが、なぜか鮮明に覚えている。
まとめ
「空っぽ」な自分に絶望し、無気力になていましたが、そもそも世の中「空っぽ」ということを知り、前向きにやりたいことやってみようと気力が湧いてきました。
特に30代中盤の人生行き詰まりを感じはじめた方には、心を楽にして次に取り組む気力を与えてくれるかもしれません。
てか、この記事のブログもなんか自然体で書けた気がする。
フィクションならあるがままの心で楽しいフィクションにしてやろうじゃないか!
次はどんなフィクションを楽しもうか。
そうすれば変に肩の力も入らず前向きに楽しく生きていけるんじゃないのかな。
ちなみに道の章も面白った。
今後は気が向いたら東洋哲学の本にも手を出してみようと思う。
しんめいP先生、とてもわかりやすい書籍ありがとうございましたm(_ _)m
二度と書かないと書いてありました、次も楽しみにしています。